「優しさをもって支えあい協力して社会を形成していけるように」


 今、日本人の生活は、どんどん便利になっています。24時間休むことなく、電気ガス水道が供給され、あちこちに24時間営業のお店が出来ています。さらに自宅にあるパソコンや携帯電話からあらゆるものが注文できて、しかも翌日には注文した商品が自宅へ届いてしまったりします。トイレで用を足せば自動で水が流れ、最近では高速道路のみとはいうものの自動運転の車まで出現しました。すべてが「あたりまえ」に機能しています。しかし、それらは本当に「あたりまえ」なのでしょうか。

ポテトチップを食べるとき、北海道の富良野にジャガイモ用の巨大な低温倉庫が林立していることや、ポテトチップを揚げるためのパーム油を生産するため、ボルネオ島のジャングルが切り開かれてプランテーションが出来、そのことで絶滅の危機に瀕している野生動物がいることを考えたことがあるでしょうか。

私が大学に入るころまで、私の家の風呂は薪を使ったお風呂でした。さすがに水は水道の蛇口をひねって入れていましたが、小学生くらいの頃からチェンソーを使って大工さんから分けてもらった古材を切り、鉈を使って薪割をし、カマドに火を起こして風呂を沸かしていました。もともと機械や道具を使うことが好きで苦労とは思いませんでしたが、風呂に入るということにそれだけの労力が必要なことは身を以て理解していました。しかし今はボタン一つで完結ですね。

考えていけばきりがありません。様々な犠牲や苦労、技術、情熱、心…。様々な「おかげさま」に裏打ちされて私たちの生活が成り立っています。私たちは多くの様々な「おかげさま」で暮らせているのであって、「あたりまえ」ではないと思うのです。誰かが心を砕き労力を割いてくれたことに対して、あたりまえに不平不満を言い、批判をし、他人の生活をうらやみねたみ嫌味を言う、そんな生活は幸せではないはずです。ボタン一つ、パソコンのワンクリックで済む便利でありがたい生活を、あたりまえと思う感謝を忘れた心が日本をダメにしていく気がしてなりません。

 これからの日本を背負っていくのは子どもたちです。今後、社会に出た子どもたちが、様々な分野で様々な責任を担い、考え、努力し、苦労しながら生きていく生活が幸せと思えるかどうかは、収入の多少や家の広狭ではなく、様々なことにありがたいと感謝できるかどうか、仲間同士が共に助け合い協力して物事をこなすことを喜び合えるかどうかにかかると思うのです。

 私たちは一人で生きているわけではなく、多くの人が複雑に絡み合ってそれぞれ関わり合いながら社会を形成して生活をしています。人と人とが個々を尊重して信頼しあい、優しさや思いやりの心をもって協力すれば、自分自身の力を100%以上に発揮させることができることがあります。しかし人と人とが罵り合い足を引っ張り合っていたら、100%の力を発揮できるどころではありません。一緒に悩み行動する仲間がいることこそ、自身の能力を100%以上に発揮できる手段であると思うのです。どちらが良いのかは明白です。

これからの日本の社会が、幸せな社会であるためには、優しさや思いやり、感謝、協力…。決してこれらのことを外して考えることはできないと思うのです。このことは私が特別なことを言っているのではなく、教育の目的として日本が教育基本法に掲げている事柄であり、平和な社会をつくるために、個々を大事にし、協力して物事を成せるようにすることだと、私は解釈しています。そしてそれは、「優しさ」「共に生きる」ということを大切にされた、お釈迦様の教えに通じることであると信じています。

今すべきことは、他人の間違えを罵ることではなく、他人をうらやみねたむことでもなく、自分の主義主張を押し付けることでもなく、優しさ・感謝・協力であると信じて疑いません。

私は園長として、子供たちの自己の力を発揮できる環境を作り、その体験をさせてあげたい。この経験は卒園後も、学校へ行っても社会に出ても、役に立つものであると信じています。

そのためには、ご家庭の協力がなければ成し得ることではありません。なぜなら、子どもたちの生活の基盤は家庭にあります。家庭において優しさをベースに周りの人たちと支えあって、協力して生活ができるように心がけていなければ、子どもたちの心にやさしさは根付きません。逆に言えば、幼稚園に通うすべての家庭がこのような思いの中で生活し、その輪が少しずつでも外へ広がっていってくれれば、住みやすい社会の創造につながっていくはずなのです。子どもたちの未来のために。

「あたりまえ」から「おかげさま」へ

 光明幼稚園にかかわるすべての方々に、優しさと感謝、協力の宣揚を!

                                  光明幼稚園 園長 福寿亮賢